青森小旅行
2013/05/06
昨日、青森から帰ってきましたが、青森はとても寒かったです。しかし、出発する前から天気予報でも雨で気温も低いと言っていましたから覚悟はしていました。
今回の青森は、妻が「ゴールデンウィークに青森に帰ってくる。一緒に行く?」というので「私も行く」と言ったことからはじまりました。
青森の義母は健康ですが1人で暮らしているので、年に一度は帰って様子を見たいということで計画していました。
今回は、青森まで飛行機で行き、青森空港でレンタカーを借りましたが、この選択は大成功でした。行動範囲が広がり、ホテル青森での現地の食材を使った朝食バイキング、酸ケ湯温泉、八甲田山雪中行軍兵士の墓、津軽三味線日本一決定戦、太宰治記念館(斜陽館)津軽鉄道花の駅、五所川原のたちねぷた、津軽鉄道ストーブ列車、太宰治疎開の家、と、充実した小旅行となりました。
記憶に新しいうちに書き留めておこうと思います。
●ホテル青森での現地の食材を使った朝食バイキング
たまたま妻がビジネス系のTV番組で青森ホテルの朝食バイキングを紹介していたのを見ていて、「地元の食材を生かしたメニューが人気らしいよ。青森に行ったら行ってみようか」と言っていました。
早速、2日目の朝、お義母さんと三人で行き、ホテルで朝食というプチ贅沢を味わいました。妻は「パンが特においしい」と言っていました。
●酸ケ湯温泉
ホテルでの朝食の後、義父のお墓参りをすませ、八甲田山のふもとにある酸ケ湯温泉に行きました。
これまでも何度も行きましたが酸ケ湯という名の通りお湯が酸っぱい。中に男女混浴の千人風呂がとても雰囲気があり人気です。家族と来ていた子供が「お父さん、千人風呂というけど千人も入れないよ」と言っていました。その通りです。
今年、過去最大の積雪量で話題になりましたが今も道路わきには残雪が高く残っていました。
久しぶりの酸ケ湯温泉、少しはのんびりしようと思っていましたが、しばらくして雪が強く降ってきました。車が動けなくなると困ると思い、早めに出ました。
●雪中行軍遭難軍人の墓
酸ケ湯温泉から青森市内に向かう途中に雪中行軍で遭難した軍人の墓があります。高倉健が出た映画「八甲田」で話題になりました。亡くなった方々に手を合わせようと車から降りて歩いていたら急に強い雨が降ってきました。しばらく止む様子でもなかったのでお墓に向き合うこともなく帰ることにしました。
●津軽三味線日本一決定戦
昨日の地元新聞に青森市の文化会館で津軽三味線の大会をやっており、入場料無料とのことでしたので、会場に入ってみました。
私たちが席に着いたときにはシニアの部の後半に入っていました。津軽三味線はテレビや青森の地元の居酒屋で聞いたことはある程度で、特に好きとは詳しいわけではありませんでした。
一人が演奏を終わるとその場で点数が大型TV画面に出ます。奏者が進むに従って1位、2位、3位の席の人が入れ替わります。
シニアの部、女子A級の部、男子A級のすべて終わるまで約40名ぐらいの方の演奏を聴きましたが、終わるころには「この人は良い点数がでるな」となんとかわかるようになったような、にわか評論家になっていました。
風雪厳しい環境の中で引き継がれてきた伝統文化、凄いですね。
●太宰治記念館(斜陽館)
青森3日目、妻と義母の希望で五所川原市金木にある太宰治記念館に行きました。私は太宰治という作家の名前はちょっとだけ知っています。「走れメロスの太宰治だよ」と言われるとああそうか、という程度でした。女性と一緒に入水自殺した人・・・という印象でした。しかし、23歳から39歳で亡くなるまで189作品を書いていると聞いてびっくりしました。
太宰治のファンでしょうか、多くの人が見学に来ていました。私は太宰治という人は若いころは正義感あふれ、純粋な人だったのではないかと思います。だからいろいろ悩んだのではないかとガイドさんの話を聞いて思いました。
太宰治の実家は大変な財産家ですが、金貸しや小作人に土地を貸して小作料を4割取ったり、借金を返済できなくなったり小作料が払えなくなると土地を没収したりしている父や家が後ろめたく思っていたようようです。後に共産党に入ったりして父や兄弟と激しく対立していくことになったそうです。
私は、この時点では「そうだったのかあ」という程度でしたし、太宰治の作品を読んでみたいという気になりませんでしたが、後で、もう一度、観光案内にも載っていない太宰治に関する施設を訪れたときに変わりました。
●芦野公園と津軽鉄道花の駅(金木駅)
太宰治の斜陽館から車で10分ぐらいの距離にある津軽半島随一の桜の名所と津軽鉄道花の駅に行きました。桜の名所、沿線沿いに咲いている桜が綺麗なはずですが、この寒さで桜はまだつぼみでした。吉永小百合さんを使った花の駅ポスターがやけに目だっていました。
●津軽鉄道芦野湖駅から五所川原駅まで移動
ここまで来たのでだから津軽鉄道に乗ってみようということになり、義母も五所川原にある立佞武多(たちねぷた)を見てみたいというので金木駅から五所川原駅まで鉄道で移動することにしました。
●五所川原の立佞武多(たちねぷた)
五所川原駅から徒歩で行けるところに立佞武多(たちねぷた)の館がありました。
館には巨大な立佞武多が3体展示してありましたが、その巨大さにびっくりしました。青森のねぶたは見たことがありますが五所川原の立佞武多は初めてでしたが凄い迫力でした。
●津軽鉄道ストーブ列車
再び、車を停めている金木駅に戻るために津軽鉄道に乗り込みました。この列車に乗ってラッキーがことが2つありました。
一つ目、
たまたま乗った列車がストーブ列車でした。この季節、観光客に対応するために臨時列車を増発するため列車が足りなくなる。そこで通常は冬だけ走っているストーブ列車も使っているということでした。
したがって、通常、ストーブ列車に乗るには特別両金300円かかりますが、今回は無料でした。
話には聞いていましたが、いいもんですね。特に外は寒かったのでポカポカでいい感じでした。スルメなどを焼いて食べる人もいるらしいです。
2つ目のラッキー、
列車には地元の観光を紹介してくれるガイドさんが乗っていましたが、その方が、「太宰治の斜陽館も良いですが、観光ガイドにも載っていませんが、斜陽館の近くにある『太宰治の疎開の家』がとっても良いですよ。中にとても面白く説明してくれる人がいるんです。是非、行ってみてみださい」とおっしゃったので、金木駅で降り、そこから車で再び斜陽館に移動し、駐車場に車をおいて『太宰治の疎開の家』を探しました。
●太宰治疎開の家
「太宰治疎開の家」はすぐ近く、目立たないところにありました。そこでガイドさんの説明でさらに深く太宰治の紹介がありました。
その疎開の家の書斎で、終戦後、1年3カ月の間に23作品執筆したそうです。太宰治が書斎としていた部屋の机に座ると文章がうまくなるという説明を聞きましたので、わたしも太宰治が座って書いたという机に座ってみました。
私も文章がうまくなりますように・・・。
ガイドさんの説明に引き込まれ太宰治という人にとても興味を持ちました。帰りに文庫本「走れメロス」を買って帰りました。今、「故郷」というところを疎開の家の間取りを思い浮かべながら読んでいますが、良いもんですね。
帰りに温泉でも入ってという話がありましたが3人とも疲れてきたのでそのまま帰ることにしました。
●青森から羽田へ
4日目の朝、レンタカーを返して飛行機で羽田に移動。
奥羽山脈でしょうか?山にはまだ雪が見えます。
妻の帰省について行った青森でしたが、ちょっとしたプチ贅沢な旅になりました。
手塚利男
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