日ごろから“なぜなぜ”を重ねて考える習慣を失っている
2013/05/07
今日も軽い話題です。
JALも機内のドリンクサービスでコーヒーが無料に変わった。ANAも有料から無料に変わったけど、JALも変わったんですね。
しかし、今日書きたいことは機内サービスのことではありません。
会社の中では、「もっと深く考えろ」、「なぜなぜを繰り返せ」、などと上司から言われている人が多いと思います。しかし、会社を出た日常の中でも深く考えない、深く説明してくれない、なぜなぜを繰り返さない、なぜなのかを深く説明しない、ということが当たり前になっているように思います。
先日、JAL便(青森行き)に妻と乗った時のことです。ドアも閉まり、いよいよ出発となった時に機内アナウンスで「荷物の積み込み遅れで、待機するように指示されております。10分ほどお待ちください」とありました。結果的には30分弱出発が遅れました。
妻と「なぜ、荷物の積み込み遅れが出たんだろうね」と話していましたが、最後までなぜ積み込み遅れの理由の説明はありませんでした。
「積み込み遅れって何だろう?」
搭乗口も閉まったんだから貨物室のドアも閉まり、離陸準備が整ったはず、「貨物室を再び開けなければならなくなった理由は何だろう?」とずっと考えていました。
無事に離陸、しばらくしてから機長から「手荷物の塔載に遅れがありました。出発が遅れて大変に失礼しました」という内容のアナウンス。でも単なる作業の遅れではないはず・・・。客室乗務員にあえてなぜ手荷物の塔載が遅れたのかを聞く人もいません、私も聞けませんでした。
こんなとき、勇気というか、一言言いたい人がいて、たとえば私が「なぜ手荷物の塔載が遅れたのですか?遅れの原因は何ですか?」と聞いたとしたら、どんな反応が返ってくるでしょうか。
多くの人は聞いても仕方がない、原因がわかっても自分で何かできるわけでもない、自分の身に危害が加わるわけでもない。それより、なぜですか?なんて聞いて“おかしな人”と思われるよりは“聞かない”ことを選択する人が圧倒的に多いように思います。私も。
しかし、このようなことが日ごろから何十回、何百回、と繰り返しているうちにいつの間にか、大事なことでも「なぜ?なぜ?」と考えない、会社の中でも「なぜ?なぜ?」と考えないようになっていくのでないか。
子供なら、どうして?と聞くかもしれませんね。
大人は「余計なことは聞かないで!」としかるかもしれません。
日常の生活の中でも、もう一歩、「なぜなんだろう?」と考える人が増えると世の中、変わるかもしれないなあ。そんなことを機内で考えてしまいました。
手塚利男
カテゴリ:風土改革支援現場に立って思うこと