40数年ぶりの出会いの旅
2012/09/18
9月16日(日)、17日(月)に故郷の山形に帰ってきました。
主目的は中学校の同窓会に参加するためです。
会場は赤湯温泉「丹泉ホテル」。
大きな看板「歓迎 梨郷中学校昭和42年度卒業生還暦祝様」が出迎えてくれました。
ホテルに入った瞬間、何となく見覚えのある顔が出迎えてくれました。
昭和43年に卒業以来、40数年ぶりに会う人もたくさんいました。
小学1年の担任をしていただいた先生も参加していただきました。
互いになかなか名前を思いだせない、しばらく顔を見合って、ようやく「とすおくんがあ」とずうずう弁は返ってきました。
これまで5人の仲間を亡くしていますので、その思い出話をしたり、いたずらしたこと、など、時間がいくらあって足りませんでした。
朝、食事後、一人帰り、二人帰り、残っている人が見送りました。
私も、ホテルを出て実家のお袋に会いに・・。
途中、父と先祖の墓参り。
私が生まれた家のすぐ隣に先祖の墓がありました。
おじいさんの借金で家を取られたと聞いていますが、本家である我が家が一番貧乏でした。
酒と博打で財産を無くしたと聞いていますが、本当のことはわかりません。
下の写真は、手塚一族の墓(与平壇)と聞いています。
写真のすぐ上に私が生まれた家がありました。
かすかに覚えているのは、錆びた刀を鉈の代わりに使っていたこと、池で泥遊びをしていたら隣の人に叱られたこと、夜、おねしょをしておばあちゃんに叱られたこと、・・・。
墓は、以前は両側に石碑がずらっと並んでいたのですが、何年か前に、親戚が引っ越した時に一部移したようです。
この先祖の墓を訪れる度に、恥ずかしくない生き方をしないといけないなあと思います。
途中、山形鉄道フラワー長井線の梨郷駅に寄りました。
私は、ここ梨郷駅から上京しました。
このホームから中学を卒業して就職する仲間を1人ひとり毎日のように見送りました。
線路の先に赤湯駅があり、そこで集団就職列車に乗り変えて上野駅に向かいました。
出征兵士を見送るような雰囲気でした。
私も何番目かに見送ってもらいました。
家に着いたらお袋が待っていてくれました。
93歳、今まで医者にかかったことがないほど元気ですが、少しボケが出始めました。
孫の写真を持って行きました。
良く見えるように大きくして。
何度も何度もじーっと見ていました。
仕事の都合で泊まることができないと説明するですが、何度も何度も「今日、泊まるのか?」と聞いてきます。
家を出る時、「また来いよ」と見送ってくれました。
年を重ねると故郷に対する思いが変わってきます。
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カテゴリ:旅行